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条件文は難しい?~不思議と間違いの多い条件文|議論の方法

条件文というのは、難しいものではありません。「ならば」という言葉が使われていれば、たいてい条件文です。たとえば、

「来年になったならば、本気を出す」

というのも、条件文です。何かしらの条件が満たされたら、どうなるという文が条件文です。

で、これの何が難しいのか?

 

■前件と後件

条件文は前件と後件から成り立ちます。

「AならばB」のAが前件、Bが後件です。そして、条件文が間違いとされるのは、前件が真で、後件が偽の時だけです。という説明だと、ちょっとわかりにくいですよね。例を出しましょう。

「来年になったならば、本気を出す」と言った人が翌年になっても本気を出さなかったら、嘘をついたことになります。でも、翌年になるまでは嘘をついたかどうかは分かりません。もし仮に、翌年になる前に本気を出し始めたとしても、嘘をついたとは言えないのです。

なぜか?

「来年になったならば」という条件が満たされたときの話はしましたが、来年になるまでの話はしていません。それ以前のことについては何も主張をしていないので、嘘をついたことにはなりません。

条件文が間違いだとされるのは、「○○ならば××する」といった○○が満たされているにもかかわらず、××がされなかった場合だけなのです。

 

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■日常表現と論理的表現

しかし、そうはいっても、これは日常表現とは剥離していることがあります。

「明日晴れたら遊園地に連れて行ってあげるよ」と言ったお父さんが、翌日嵐の中を遊園地に連れて行ったとしても、「嘘はついてない」「おかしなことは言ってない」というのは違和感があります。

日常的には「○○したならば、××する」と言う表現は、暗に「○○しなかったならば、××しない」という意味を持っていることが多いものです。「遅刻したらお仕置きするよ」と言われた時、じゃぁ遅刻しなければお仕置きされないよねと思わない人がいるでしょうか?

確かに、論理的には遅刻しなくてもお仕置きしてかまいません。少なくとも、嘘をついたことにはならない。ですが、日常的表現で理解されるのが当然の場面で、「いや、論理学的にはそういう解釈は成り立たないから」というのはただの揚げ足取りであり、お互いに正確な意思の疎通を図ろうという努力を放棄しています。

私が議論において論理学の考え方をおすすめするのは、ごまかされないため、より正確にお互いの主張を明らかにする方法としてであって、相手の足下をすくって小馬鹿にするためではありません。

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