オセロ

逆、裏、対偶。相手の言葉の意味を勘違いしないために重要なこと。|議論の方法

議論と呼べることをするためには、まず最初に相手の発言を理解することから始めましょう。

議論のできない人の特徴の一つは、相手の発言を、反論しやすい形で解釈しようとすることです。このようなやり方をしていたのでは、「そういう意味じゃない」「いやお前の言い分はそういうことだ」と、終わらない言い合いになるだけです。

言葉というのは、ある意味を表すのに、一つの表現しかできないわけではありません。ですから、ある言葉を自分に馴染みのある言葉で受け取ろうとすること自体は問題ありません。それは大事なことです。しかし、その言葉を別な表現に置き換えるときは、意味を変えないようにしないといけません。

 

■逆、裏、対偶

論理学では逆、裏、対偶という概念を学びます。

たとえば、「人間は動物である」という命題があるとしましょう。この命題に対して、

逆 = 「動物は人間である」
裏 = 「人間でないならば動物ではない」
対偶 = 「動物でないならば人間ではない」

となっています。ここでの人間とか動物は記号に置き換えてもかまいません。

AはBであるに対して、BでないならばAではない、が対偶です。

さて、これがいったい何の役に立つのでしょうか?

実は、元の命題と対偶は常に同じ真理値を持ちます。同じ意味になる、と考えてかまいません。

ところが、逆とか裏はその保証がないのです。

 

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■まず対偶から考える

相手の言葉を理解して、それに対して何かの返事をするとき、相手の表現のままでは使いづらいことがあります。だからそれを別な表現に置き換えるときは、まず対偶に置き換えます。対偶に置き換える分には、相手の言葉の意味は変わらないので、ほとんどの場合問題ありません。

しかし、対偶をとっても答えづらい表現の場合は、逆や裏でも相手の発言の意味が変わらないかどうかをチェックしましょう。

たとえば、「明日は一月一日である」という発言は別な表現に置き換えられるでしょうか。

対偶である、「一月一日でないならば、明日ではない」はもちろん成立します。問題は残りの二つ。

逆の、「一月一日は明日である」は条件付きで成立します。もちろん、すべての一月一日が明日であるはずはありませんが、友達同士の会話で「○月×日はコンサートの日だよ」という発言に違和感はありませんよね。

これに対して「すべての○月×日がコンサートの日であるはずはないから、その発言は間違いだ」という人はいません。いたら怖い。

よって、「一月一日は明日である」という発言は必ずしも間違いとは言えず、その発言者の意図によっては元の命題と同じ意味となります。

では「明日でないならば、一月一日ではない」という裏の表現はどうか?

見かけない表現ですね。「明日は一月一日である」という発言者が、そういう意味で発言しているケースは相当珍しいことだと思います。

このように、逆や裏の表現に置き換えられる場合とそうでない場合は状況や発言内容によります。解釈次第でなんとでも言えるようなやり方ではのらりくらりとかわされますので、逃げようのない強制力のある対偶という解釈を使うのが、議論の方法論としての基本です。

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