ポイント

自分が正しい可能性はあるだろ? だから自分が正しいんだ、という傲慢さ|議論の方法

世の中では様々なテーマで議論が行われます。そしてその多くの場合には、正しい答えはまだ誰も知らないものです。

神ならざる者には正解が分からないようなテーマの時というのは、人はそれぞれ自分の趣味や思想、勝手な思い込みで答えを決めつけることがしょっちゅうです。

たとえば人生論について話し合ったときなんかがわかりやすいのではないでしょうか。

そのような、解釈次第でなんとでも言えるようなテーマの時は、ある人の考え方が間違っていることを証明するのは難しかったりします。

そして、自分の主張の間違いを相手が証明できないことで、自分が正しい可能性があるといい、だから自分が正しいんだというところまで飛躍する人が出てくるわけです。

その根底にあるのは傲慢さです。

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■証明は全部お前がしろ。できないなら俺様が正しい

このタイプの人の論法には特徴があります。

それは、他人の証明にけちはつけるけれども、自分は何一つ証明をしないことです。

彼らは他人の証明の間違いや疑問点は指摘します。しかし、自分に対する指摘には「じゃあ何が正しいんだ」と正解の提出を求めるのです。それに対して無理に回答した相手に対して指摘するわけです。

ここで言い負かされてしまう人が多いのですが、その原因は不公正を見抜くことができていないことです。ここにはとんでもない不公正が隠されているにもかかわらず。

■彼らの議論がひどい理由

彼らの議論の方法はひどいものです。彼らの理屈は二つに分かれます。

1,「相手の主張が正しいことが証明されないならば、自分が正しい」
2,「自分の主張の間違いが証明されないならば、自分が正しい」

彼らは決してこうは考えません。

3,「相手の主張の間違いが証明されないならば、相手が正しい」
4,「自分の主張が正しいことが証明されないならば、相手が正しい」

おわかりでしょうか。1,2の考え方と3,4の考え方は同じです。自分に有利か相手に有利かが違うだけです。

証明というのは実はとても手間のかかる作業です。可能だとしてすらです。そもそも証明できるようなテーマではないときなどは、証明もどきをすることですらどれほど大変か。

ところが彼らは、自分では何も証明せず、相手にだけ証明をさせて、自分は文句を言うだけ。これが傲慢でないなら何を傲慢と呼べばいいのでしょうか。

このような傲慢な人々と遭遇した場合の最良の対処法は最後にご紹介しますが、まずは相手のずるさを指摘してあげましょう。

「私の正しさが証明できないことが、あなたの正しさの証明になるのなら、あなたの正しさが証明されないことも、私の正しさの証明になってしまうんじゃないの?」

と。

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